
「六本木という地名、いったいどこから来たんだろう?」って、ふと疑問に思ったことはありませんか。
東京のど真ん中にある六本木といえば、オフィスビルが立ち並び、夜も華やかなイメージがありますよね。
でも、名前に「木」が入っているのって、なんだか不思議に感じませんか。
この記事では、六本木の名前の由来について、有力とされている説や、意外な歴史の物語をわかりやすくご紹介していきますね。
これを読めば、「へえ、そんな歴史があったんだ!」とスッキリ解決するはずです。
次に六本木を訪れたとき、きっと今までとは違ったワクワクする視点で街歩きを楽しめるようになりますよ。
私たちと一緒に、六本木の知られざるルーツをのんびりと紐解いていきましょう。
六本木の名前の由来は「松の木」と「大名屋敷」の2つの説が有力

ずばり結論からお伝えしますね。
六本木の名前の由来としてもっとも有力なのは、「六本の松の木があった」という説と、「名前に“木”のつく大名屋敷が六つあった」という説の2つなんですね。
この2つの説が、港区の公式な記録や、江戸東京博物館の資料でもよく並んで紹介されているんです。
「あれ、どちらか一つに決まっていないの?」と驚かれたかもしれませんね。
実は、どちらの説が絶対に正しいのかは、今でもハッキリとは分かっていないんです。
「不詳・諸説あり」とされているからこそ、ロマンがあって面白いと思いませんか。
これから、どうして複数の説が残っているのか、そしてそれぞれの説がどんな内容なのかを、たっぷりとお話ししていきますね。
なぜ六本木の地名の由来は複数あるの?公式の見解と歴史的背景

さて、なぜ六本木の地名の由来は、はっきりと一つに決まっていないのでしょうか。
それには、この街がたどってきた長い歴史が関係していると言われています。
ここでは、由来が複数存在している理由を、3つのポイントに分けてお話ししますね。
公式機関や辞典でも「諸説あり」とされているから
一番の理由は、昔の記録を探っても「絶対にこれだ!」と言い切れる証拠が見つからないからなんですね。
港区の公式サイトを見てみると、次のように書かれています。
「六本木という地名の由来は、六本の松があったからとも、木にちなむ名の大名6家の屋敷があったからともいわれますが定かではありません」
このように、公式の場でもどちらか一方には決めていないんです。
また、江戸東京博物館のレファレンスや、「角川日本地名大辞典」といった専門的な資料でも、複数の説が並んで紹介されています。
「古い地名の由来は、どの説が正しいと断定するのは難しい」というのが、専門家さんたちの共通した見解なんですね。
私たちからすると少しもどかしい気もしますが、昔の人たちがどんな風にこの土地を呼んでいたのか、想像を膨らませる余白があるのは素敵なことかもしれませんね。
六本木という町名が正式に誕生したのは明治時代だから
実は、「六本木」という名前が公式な町名として地図に載ったのは、ずっと昔からではないんです。
正式に町名となったのは、明治2年(1869年)のことでした。
このとき、「麻布六本木町」という名前が誕生したんですね。
それ以前の江戸時代には、この辺りにはいくつか別々の町やエリアがあったんです。
当時の合併したエリアを少しご紹介しますね。
- 飯倉六本木町
- 麻布龍土六本木町
- 麻布北日ヶ窪町代地
- 麻布龍土坂口町
- 各寺院の門前町(教善寺・正信寺・光専寺・深広寺など)
これらが一つにまとまって、「麻布六本木町」になりました。
つまり、地名の由来となった出来事は江戸時代のものでも、公式な「町名」として整えられたのは明治に入ってからなんです。
だからこそ、昔の人たちの言い伝えや通称がそのままいくつか残ってしまったのかもしれませんね。
武家屋敷から華やかな街へと移り変わる歴史があるから
六本木の街が、時代とともに大きく姿を変えてきたことも、由来がふんわりとしている理由の一つと言われています。
江戸時代、この一帯は武士たちが住む「武家屋敷」がたくさん並ぶ静かなエリアでした。
今からはちょっと想像がつかないですよね。
戦後になると、外国の方が多く住むようになり、ナイトライフを楽しめる華やかな繁華街へと発展していきました。
そして現在では、六本木ヒルズや東京ミッドタウンといった、都内でも有数の再開発エリアとして大勢の人が訪れる場所になっています。
実は、これらの近代的な建物の下には、かつての毛利家や長府藩といった大名屋敷の跡が眠っているんですよ。
こんな風に、街の役割が何度もガラッと変わってきたため、一つの言い伝えだけが残り続けるのが難しかったのかもしれませんね。
歴史が何層にも重なっている街だからこそ、魅力的なエピソードがたくさん残っているのだと思います。
六本木の名前の由来とされる具体的な3つの説を詳しく紹介

それではいよいよ、六本木の名前の由来とされている具体的なエピソードをご紹介していきますね。
有名な2つの説に加えて、ちょっと不思議な伝説のような説もあるんです。
読者さんはどの説がお好きか、ぜひ考えながら読んでみてくださいね。
説1:立派な「六本の松の木」があったという伝説
まずは、一番シンプルで親しまれている「六本の松の木」説です。
かつてこの地に、とても立派な松の大木が六本生えていたことから、「六本木」と呼ばれるようになったと言われています。
一部の言い伝えでは、「六方庵(ろっぽうあん)」というお屋敷のお庭に、見事な六本の松が植えられていたともされているんです。
想像してみてください。
まだ高いビルなんて一つもなかった時代、遠くからでも目立つような大きな松の木が六本、風に揺れていた景色を。
「あの六本の松の木のところで待ち合わせしようか」なんて、当時の人たちの声が聞こえてきそうですよね。
とてもわかりやすくて風景が目に浮かぶので、一般向けに観光ガイドなどでよく紹介される、一番スタンダードな説なんですよ。
説2:「木」の字がつく大名屋敷が六つ集まっていた説
もう一つの有力な説が、「“木”の字が入る大名屋敷が六つあった」というものです。
江戸時代、この周辺にはたくさんの武家屋敷があったとお話ししましたよね。
その中に、なんと名前に「木」や「木偏(きへん)」がつく大名のお屋敷が、偶然にも六つ集まっていたと言われているんです。
その六つの大名家とは、次のお家だと言われています。
- 上杉家(うえすぎけ)
- 朽木家(くつきけ)
- 高木家(たかぎけ)
- 青木家(あおきけ)
- 片桐家(かたぎりけ)
- 一柳家(ひとつやなぎけ)
いかがですか。
確かに、すべての名前に木や木にまつわる漢字が入っていますよね。
これだけ「木」に縁のあるお屋敷が集まるなんて、すごい偶然だと思いませんか。
「六つの木にまつわるお屋敷がある場所」という意味から、いつしか「六本木」と呼ばれるようになった、とするこの説。
歴史好きな方や、地名の研究者さんの間でも代表的な説として支持されているんですよ。
説3:平家の落ち武者や江戸六方にまつわる少し不思議な伝説
最後にご紹介するのは、少しマイナーだけれど、物語のようなロマンあふれる説です。
港区のローカルな言い伝えとして、「平家の落ち武者」にまつわる切ない伝説があるんです。
むかしむかし、平家の落ち武者が6人、この地に逃げ延びてきました。
そこには榎(えのき)の木が5本生えていて、彼らはその木を墓標の代わりにして自刃しようとしたそうです。
ところが、武者は6人いるのに、榎は5本しかありません。
「1本足りないのは可哀想だ」ということで、あとからもう1本木を加えて「六本木」になった……という物語です。
歴史的な裏付けというよりは、人々の優しい気持ちから生まれたエピソードなのかもしれませんね。
また、もう一つの珍しい説として、「江戸六方(えどろっぽう)」という男気あふれる人たちが住んでいたから、というものもあります。
『遊歴雑記』という古い文献によると、彼らが住む場所を「六方気(ろっぽうぎ)」と呼んでいて、それがなまって「六本木」になったとも紹介されているんです。
いろんな人が行き交う街ならではの、ユニークな伝説ですよね。
【まとめ】六本木の名前の由来は複数説あり!歴史を知ると街歩きが楽しくなる

ここまで、六本木の名前の由来について一緒に見てきました。
最後に、この記事でお話しした大切なポイントを短く整理しておきますね。
- 六本木の名前の由来は「六本の松の木説」と「六つの木の大名屋敷説」がもっとも有力
- どちらの説が正しいかは、港区や専門機関でも「諸説あり」として確定されていない
- 正式な町名として「六本木」が誕生したのは明治2年(1869年)のこと
- 他にも、平家の落ち武者伝説や「六方気」がなまったという少し不思議なエピソードもある
一つの正解がわからないからこそ、「もしかしたらこうだったのかも」と自由に想像できるのが、六本木の歴史の面白さですよね。
華やかなビルの隙間に、そんな古き良き時代の物語が隠れているなんて、なんだかワクワクしませんか。
今度六本木に遊びに行くときは、ぜひ「あの辺りに大きな松があったのかな」「ここが大名屋敷だったのかな」と想像しながら歩いてみてください。
きっと、いつもとは違う新しい街の顔が見えてくるはずですよ。
あなたの六本木へのお出かけが、もっと素敵な時間になりますように、心から応援しています。